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引きこもり

引きこもり脱出大作戦

改めましてkitajinです。

 ここではボクが、いかにして引きこもりを脱したかをエピソードとともに紹介していきたいと思います。なお、当時がどんな時代だったかを、分かりやすくするエッセーも載せておくので、興味がある方はそちらもご覧ください。

Photo by Warren Wong on Unsplash
Photo by Warren Wong on Unsplash

引きこもり生活について(1991年~1993年頃)

引きこもりの生活習慣

引きこもり生活の基本は自由です。好きな時に寝て、好きな時の起きます。

ボクの場合は、だいたい、明け方まで深夜番組を観たり、テレビやゲームをしたり、漫画を読んだりして、3時~4時ごろ寝て、起きるのは昼の11時~1時の間でした。

そこから朝兼昼メシを食べ、またゲームをやったり、テレビ、ビデオを観たり、漫画を読んだりしていました。

その間、お腹が空けば、お菓子などの間食をして、夜は家族と一緒に食事をとり、その後、10時~12時の間に深夜番組を観ながら、もう一度、何かを食べていたと思います。

パチンコをやるようになってからは、生活のリズムが変わり、パチンコの開店時間30分前には並べるように、8時には起きていました。

そのおかげで、寝るのは0時~1時くらいになったと思います。

ただし、パチンコに負け、軍資金がなくなれば、次の小遣いが入るまで深夜生活に戻ります。

そんな毎日を約3年近く続けていました。

昼夜逆転現象

人間の体内時計は二十五時間で、時計がないと毎日ちょっとずつ、生活習慣がズレてくると言われています。

本当にその通りで、時計に縛られない生活を送ると、昼夜が逆転していきます。

いつの間にか、深夜まで起きており、昼頃起きだすという生活に変わっていました。

当時はバブルが弾けてはいましたが、日本経済がまだまだ活気な頃で、日本人全体が夜型になっていました。

コンビニをはじめ、スーパー、ファミレス、ファストフードなども24時間営業に転換したりして、テレビ番組やラジオなども若者受けをするような深夜番組を作り、隆盛を極めていました。

そんな風潮に乗っかって、深夜まで起きているのが当たり前になっていました。

人生最重量になる

昼夜逆転生活をしながら、好きな時に好きなモノを食べていました。

安価で美味しいものが、24時間いつでも食べられるという事もあり、三食の他に間食でスナック菓子やチョコレートやアイス、コンビニ弁当やファストフードなどを当たり前に食べていました。

そのおかげで、もともとは太りぎみだったボクはどんどん太っていき、気づくと157㎝、80㎏という見事なボディーになってしまってました。

元々、6?㎏くらいだったと思いますが、それが、80㎏台に到達すると、体の変化に気づきます。

明らかに体の動きが悪くなったり、狭い場所が窮屈に感じたり、屈伸がうまくできなかったりとお肉が邪魔になってきます。

当然、ダイエットを意識しますが、引きこもり男がダイエットなどできるはずもなく、あえなく挫折してしまいました。

何をして過ごしていたか

当時のテレビは、まさに隆盛を極めていました。

バラエティー番組は、ビートたけし、明石家さんま、タモリのお笑いBIG3をはじめ、とんねるず、ダウンダウン、ウッチャンナンチャンなどのお笑い番組が、市民権を得始めたころでした。

その他にもトレンディードラマといわれるお洒落なドラマが社会現象になり、ドラマの主題歌がミリオンセラーになったり、バンドブームがあったりしました。

テレビで放映される映画やアニメなどもそうです。

1980年代から90年代は、現在でも名の知れたハリウッドスターの若かりし頃の映画が数多く入ってきました。映画公開から何年か後に、テレビで吹き替え版として観られました。

ジブリがテレビで観られたのもこの頃からではないでしょうか。

スポーツもそうです。

Jリーグが始まり、サッカーがワールドカップに初出場するかどうかと日本中が盛り上がっていました。

その他にもゲームや漫画など、良いモノもまがいモノも、混然一体で動いている時代の中で、ボクはそれらの影響をモロに受けながら過ごしていました。

引きこもり時代の数少ないエピソード

ドーハの悲劇

ドーハの悲劇(ドーハのひげき, Agony of Doha)は、1993年10月28日にカタールの首都・ドーハのアルアリ・スタジアムで行われたサッカーの国際試合、日本代表対イラク代表戦の日本における通称。1994年アメリカワールドカップ・アジア地区最終予選の最終節で行われたこの試合は、第4戦終了時点で日本はグループ1位となり、初の本戦出場に王手をかけていた。しかし最終第5節で、試合終了間際まで2-1でリードしていながら、ロスタイムにイラク代表に同点ゴールを入れられ、一転して予選敗退する結末となったことから、この通称で呼ばれている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドーハの悲劇がなぜ今でも語り継がれるか、それは自分が心底、熱中、応援していたチームが、あと数秒のところで夢が潰え、消えてなくなる瞬間を目撃し、体感できたことではないでしょうか。

そんなことは先にも後にもなく、今になって思えば、とても貴重な経験をさせてもらいました。

これがスポーツを観る醍醐味ではないでしょうか。

パチンコが熱い

引きこもり時代、ハマッていたのがパチンコでした。

当時のパチンコは、ちょうどギャンブル性が上がってきていて、パチンコブームが到来する前兆くらい時であり、ギャンブル性はそれほどなくても結構、儲けることも出来ていたように覚えています。

当時、パチンコ屋は遊べましたが、怖い場所でもありました。

店員は怖かったし、変な客がたくさんいました。

店員は、ホールでタバコを吸いながら接客をするのは当たり前でしたし、客と喧嘩をするような店員もいました。

客も悪いのがたくさんいたので、どちらが悪いか分かりませんが、現代では信じられない環境でした。

交換率は今より低く、(ボクの地域では、88発200円くらいだったか)ひと玉4円以外なかったので、(現在は1円や0.5円などの店もある)現在より勝てないような気もしますが、わりと遊べていたし、勝てていました。

一時期、本気でパチプロを目指そうとしていたくらい勝っていた時期もありました。

まあ、そんなのは夢のまた夢で終わったのですが……。

年齢的にも、時代的にも一番パチンコが面白かった時期でした。

死を感じた夜

死を感じた夜と言っても、物騒な話ではありません。

これは今でも原因が分からないのですが、布団に入り、「さあ、寝よう」とした時、突然、闇の中から、圧迫するような恐怖感が襲ってきたのでした。

当時のボクは、引きこもり状態からどうしたらいいか悩んでいた時期でもありました。

別に幽霊もいないし、金縛りでもないが身につまされる恐怖、闇の中から感じたことのない殺気が襲ってくるようでした……。

ボクは心の中で本気の命乞いをして、見逃してくれたら、これからちゃんと生きると誓いました。

翌日、朝を迎えるとこができ、それを機に、引きこもり状態から脱することを決意したのでした。

詳しくは下のリンクに書いておいたので、良かったら読んでみてください。

初労働

引きこもりから、脱するため、アルバイト情報誌を近所のコンビニからもらってきて、その中から選んで、電話をしたのが派遣の仕事でした。

面接をして採用となり、初めての労働はサービスエリアのうどんとそばの立ち食い屋でした。

初めてのバイトに接客、しかも、車の免許がないため、サービスエリアまでは車で送り迎えしてもらう。

引きこもり人間には、いきなりハードルの高いバイトでした。

しかし、どういう理由か分かりませんが、一回だけで以後、電話はかかってこず、それっきりになりました。

ボクもどうなっているのか、確認の電話を掛けなかったように記憶しています。

それくらい、よく解らずフワフワとした気持ちでいました。


十代後半は本当に輝ける年代なのか?

以上のように、ボクは17から19までの間、引きこもり生活という暗闇の中にいました。

よく、人生で一番輝かける年代と言われる年齢を、ほとんどドブに捨てたようなものです。

「本当にそうだな」と思う一方、この年代を謳歌できる人が、いったいどれほどいるかのか?という思いと、謳歌できなかったボクのような人間が、あまりにこの年代を美化しすぎているのではないか、と思うところもあります。

あと、マスコミが若者世代をたき付ける文化に、丸々染まったボクたちは、さも、若さ=かけがえのないモノのように思いこまされてきたように感じるのです。

確かにこの年代は人生の岐路に立たされ、選択次第で大きくその後に影響を及ぼしますが、人生百年と言われる現代、たった三年の誤りが、その後の人生すべてに影響して、「人生お仕舞い」なんてことにはならないと言いたいのです。

それに、この時期をボクと同じように不遇の青春を過ごした人が、後に成功者になったという例は枚挙にいとまがないですし、逆に若かりし成功者が、後に犯罪に手を染めたりして転落、悲惨な後期を過ごすこともよくあります。

何が言いたいのか?

自分のペースで成熟していけばいいのです。

納得できずに進むより、立ち止まって、納得してから進んだ方がいい結果に繋がる確率が上がると思うのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?ちっとも、脱出大作戦ではないですが、当時のボクの心情と時代背景を端的に表せたと思います。

 自分の生きた時代のせいにしたくはないですが、人間、生きてきた時代に色濃く影響を受けるのは仕方ないことです。時代が人生を作るのですから。だから、今の人と、ボクとの感覚がまるで違うのも仕方のないことです。それでも、共通する部分に共鳴して、ボクの話が役立ったなら、書いたかいがあるというものです。

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