" />

テレビ

観てきたテレビ番組 1980年代 バラエティー

改めましてkitajinと申します。ここでは1980年代に自分が観てきたバラエティー番組について紹介していきたいと思います。

1980年代 バラエティ番組 10選

俺たちひょうきん族

「オレたちひょうきん族」は、フジテレビ系列で1981年~1989年まで放送されていました。通称「ひょうきん族」「ひょうきん」

おもな出演者 ビートたけし・明石家さんま・島田紳助・片岡鶴太郎・山田邦子・コント赤信号・島崎敏郎ほか

番組の内容――俺たちひょうきん族は当初、裏番組である「8時だよ全員集合」に対抗すべく、東西のお笑い芸人が一丸となって作った番組です。コントやパロディ―を中心に、それぞれの芸人が引き立つコーナーを作り一つの番組してました。ですので、たけしやさんまが特別目立つ番組ではありませんでした。芸人が横並びで一つの番組を作るという、結構珍しい番組作りではないでしょうか。

それでもメインはやはり、ビートたけし、明石家さんまの「たけちゃんマンVSさんま扮する敵キャラ」は番組の看板コーナーとして長く続きました。

さらに、東西のお笑い芸人がこれだけ大人数で一つの番組を作るという試みも初であり、後の関西芸人が東京に出てくる礎を築いたのは間違いありません。

ライバル番組がしないことをしていくというスタンスで成功して、後のバラエティー番組に大きな影響をもたらした番組ではないでしょうか。

笑っていいとも!

「森田一義アワー 笑っていいとも!」は、フジテレビ系列で1982年~2014年まで、毎週月~金曜日、昼の十二時から生放送されていました。略称は「いいとも」

主な出演者 タモリ・笑福亭鶴瓶・明石家さんま・ダウンダウン・とんねるず・ウッチャンナンチャン・中居正広・関根勤など

番組の内容――お昼のバラエティー番組として一時代を作ったので、もはや知らない人はいない番組でしょう。毎日のゲストをゲストが紹介しあうテレホンショッキングを中心に、そのあとのコーナーを人気芸人やタレント、著名人などが受け持ちました。各曜日に別々のレギュラーを要するというスタイルを作ったのも、この番組からではないでしょうか。

番組が始まった最初の頃のテレホンショッキングでは、「友達の輪」と言う言葉を使っていました。

「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪」とタモリが言うと、お客と一緒に「輪」と言いながら頭の上で輪っかを作るという掛け声が恒例となっていました。

笑っていいともは学生にとって観たくても観れない歯がゆい番組でした。観れたのは学校を休んだ時か、「笑っていいとも増刊号」でした。

また年末にやる「笑っていいとも特大号の」のレギュラー陣がモノマネを披露するコーナーなどが好きでした。

夕焼けにゃんにゃん

「夕やけニャンニャン」は、フジテレビ及び一部系列局で1985年~1987年まで毎週月曜~金曜日夕方の時間帯に生放送されていたバラエティー番組です。

おもな出演者 片岡鶴太郎・所ジョージ・田代まさし・とんねるず・おニャン子クラブなど

番組の内容――夕方の時間帯にやっていた情報バラエティー番組で、月曜から金曜まで司会からレギュラー陣まで変わっていくというスタイルでした。視聴者参加型のコーナーが多く、お悩み相談や愚痴のなどが人気でした。

またこの番組のメインを彩ったのは何と言ってもおニャン子クラブというアイドルグループでしょう。

秋元康が仕掛け人となり、番組でメンバーを募集して、オーディション風景を番組で流し、視聴者に応援させるという、手法がウケて番組と共に一時代を作りました。

またとんねるずをスターダムにのし上げたのも、この番組です。彼らのノリの良さやワードセンスなどが番組に大きな影響を与え、視聴者を引き付ける要因となったのは間違いないです。

ビートたけしのスポーツ大将

「ビートたけしのスポーツ大将」は第一期1985年~1987年・第二期1988年~1990年までテレビ朝日系で放送されていたスポーツバラエティ番組です。

主な出演者 ビートたけし・たけし軍団・たけし軍団セピアなど

番組の内容――ビートたけし率いるたけし軍団を中心にしたチームが、様々なスポーツに挑戦していくをコンセプトに、一般人チームや芸能人、時にはプロの選手を交えて対戦する番組でした。

スポーツ対決モノは当時画期的な企画で、様々なスポーツにスポットを当て、その競技に秀でた選手やチームにいかにたけし軍団が勝つのかを面白おかしく放送していました。

特に100m走では、カールくんという当時100m走で世界記録者であったカール・ルイスを模した人形と対戦する企画が受けて、後に様々な人形キャラクターが番組を盛り上げてくれました。

天才たけしの元気が出るテレビ

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」は、1985年1996年で日本テレビ系列で放送されていたドキュメントバラエティ番組です。通称「元テレ」、「元気」。

主な出演者 ビートたけし・松方弘樹・高田純次・兵藤ゆき・野口五郎など

番組の内容――町の変な人や変わった場所などを取り上げたり、人気がない商店街を助けたりと、番組を通して日本を元気にしていこう、というコンセプトで様々な企画を扱う番組でした。

名物企画やキャラクターを生み出し、応募してきた素人の中から現在も活躍する芸能人、著名人を生み出したことでも有名です。

番組全盛期には、観光地に「元気ハウス」というショップを開店して、番組のグッズを売りだして大盛況になり、番組を題材にしたタレントショップの先駆けとなりました。

また、この番組の影響を受けてできた番組が、後に多く派生したのも影響力の強さゆえでしょう。

ボクが中学の修学旅行のとき、京都嵐山にある「元気ハウス」に行って、グッズをたくさん買ったことを今でも覚えています。

今では絶対に出来ない企画も多く、昭和を代表するハチャメチャなテレビ番組であったと懐かしく思います。

志村けんのだいじょうぶだぁ

「志村けんのだいじょうぶだぁ」は、1987年~1993年までフジテレビ系列で放送されていたコントを中心としたバラエティー番組です。

主な出演者 志村けん・石野ようこ・桑野正博・田代まさし・松本典子・渡辺美奈代ほか

番組の内容――座長、志村けんによるコント番組。数々の名物キャラクターを生み出し、共演者との掛け合いをいかに面白く見せるかをコントに詰め込んだコント師志村けんの真骨頂の番組でした。

番組の題名「だいじょうぶだぁ」とは、「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の中で、「だいじょうぶだぁ教」というコントがあり、志村けんが、だいじょうぶだぁ教の教祖となり、団扇太鼓(太鼓を三つ合わせたモノ)を持って、「だいじょうぶだぁ」という、ところから取ったといいます。

番組は前半三十分がコントで、後半がクイズやゲームコーナーをやっていました。

子供の頃から観てきた王道のドリフのコントを土台に、志村けんが演出して作り上げたコントの数々は、今でも心に残る名作が目白押しです。

ねるとん紅くじら団

「ねるとん紅鯨団」は、1987年~1994年までフジテレビ系列で放送されていた公開お見合いバラエティー番組です。略称「ねるとん」

主な出演者 とんねるず

番組の内容――一般参加で恋人を探すという集団お見合いの先駆けとなった番組です。とんねるずの二人が隔週でオブザーバーを務め、素人を面白おかしくいじりながらアドバイスを送り、カップル誕生を見守っていきます。

当時は画期的内容に若者の間で大ブームを起こし、「大どんでん返し」や「タカさんチェック」などの流行語などがうまれました。

「ねるとん」は集団お見合いパーティーの代名詞にもなり、日本各地で、ねるとんパーティなるモノが企画されました。

あっぱれさんま大先生

「あっぱれさんま大先生」は、第一期は1988年~1996年まで、第二期は2000年~2003年まで、フジテレビ系列で放送された子供バラエティー番組です。略称「あっぱれ」

主な出演者 明石家さんま、生徒の子役たち

番組の内容――明石家さんまが子役の子供たちと繰り広げる面白やり取りがウケて長期間放送されました。様々企画を通して、さんまと子供たちのやり取りを面白おかしく放送していました。明石家さんまが先生に扮し、子役の生徒たちに様々な授業を通じてテレビで生き残る術を教えるというのがコンセプトになっていました。

好き勝手にモノを言う子役たちを相手に奔走するのが面白いこの番組。流石は明石家さんまで、誰が相手もでも必ず面白くしてしまうというのが実践された番組でもありました。

以降、明石家さんまはタレントはもちろんの事、素人女性や学者たちとも絡んで番組をつくり、笑いを生み出してきました。まさにお笑い怪獣です。

とんねるずのみなさんのおかげです

「とんねるずのみなさんのおかげです。」は、1988年~1997年までフジテレビ系列で放送されていたバラエティー番組です。略称は「おかげです」「みなさん」※のちに、「とんねるずのみなさんのおかげでした」に代わり、1997年~2018年まで続きました。

主な出演者 とんねるず ゲスト

番組の内容――とんねるずの二人が、当時流行っていた映画やドラマをパロディ―にして、人気のある芸能人をゲストに迎えてコントを演じたりしてました。また、番組には様々な名物コーナーがあり、そんな中で生まれた企画で、ユニットを作って歌手デビューしたりしました。

とんねるずの面白さは、ハチャメチャなところで、「おかげです」では、その当時のアイドル的存在の女性タレントにセクハラまがいの事をしたり、暴力的だったり、差別的なノリがウケていました。

現代ではどれも受け入れられなくなり、こういう番組は二度と出来ませんが、その当時は普通に笑っていたように思います。(※当時でも悪ふざけが過ぎて、批判を受けることが多々ありましたが)

その後、時代が移り、「~おかげです」から「~おかげでした」に代わり、そこからも人気コーナーが生まれ、「食わず嫌い王」や「細かすぎるモノマネ~」などの名物企画が生まれました。

夢で逢えたら

「夢で逢えたら」は、1988年~1991年までフジテレビ系列で放送されていたバラエティー番組です。

主な出演者 ダウンタウン・ウッチャンナンチャン・清水ミチコ・野沢直子

ドラマの内容――当時若手だったダウンタウン、ウッチャンナンチャンを中心にしたオリジナルコントを毎週三十分の深夜番組で流していた。

東京に出てきて間もないダウンタウンでしたが、早くも才能が爆発していました。ごっつええ感じの前身となる、今までにないコントを作り上げ、瞬く間に人気者になっていきました。

ダウンタウン、ウッチャンナンチャンはこの後、瞬く間に人気者になっていき、90年代から数多くの人気番組を作り、一時代を作り上げていくのでした。

彼らの番組を追うようにして観ていたのは言うまでもありません。

まとめ

ボクは子供の頃からバラエティー番組が大好きで、入口はドリフターズの「8時だよ全員集合」でした。テレビを観ながら、ボクも「志村、後ろ」と言っていた世代です。それから1980年代に入り、数多くの番組を観るようになり、たけし、さんま、タモリのお笑いBIG3をはじめ、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンなどの番組を欠かさず見ているテレビっ子でした。

-テレビ