改めましてkitajinと申します。突然ですが人はなぜ、他人のしているスポーツを応援するのでしょうか?世の中には人生を通じてスポーツ選手、スポーツチームを応援する人たちがいます。その原動力はいったいどこから来るのかを考えてみました。

この記事は個人の感想を多く含みます。
スポーツを応援する理由
ストレス発散
球場や会場に行って、大声で応援することはストレス発散になります。
日常生活で、大声を上げることなどカラオケを歌う時ぐらいではないでしょうか。
カラオケだって、誰かといけば多少は遠慮してしまうし、感情的にはならないものです。
しかし、贔屓のチームを応援することは、つい夢中になって応援しているし、思わず大きな声が出てしまうものです。
大声を出さなくても、応援しに行くという行為自体がイベントになります。
贔屓のチームが勝っても負けても帰る頃には清々しい気持ちになり、ストレスを発散していることでしょう。
ストレス発散には、やはり生で観戦することをオススメします。
満たされない自分を投影している
プロのスポーツ選手とは、選ばれた人たちです。
多くの競技人口の中から選ばれた人のみが、その場所でプレーすることを許される憧れの存在です。
選手を応援するとは、その憧れを自分に投影させて、彼らが活躍するのをさも自分のことのように喜ぶことでもあるのです。
ですのでゲームの勝敗、選手の成績がまるで自分のことのように思えるのではないでしょうか。
チームや選手がいいときは気分がいいですが、悪くなると不機嫌になる典型です。
見えない力①人智を超えた力
スポーツではまれに信じられないことが起こります。
奇跡の逆転勝利やアクシデントによる敗北など、人間の力ではどうしようもない事を目の当たりにすると、人は見えざる力を強く信じるようになります。
スポーツにはそういう瞬間があるので、つい引き込まれてしまいます。
それが自分一人ではなく、周りにも同じような体験をした人がいて群集心理が生まれます。
スポーツにはそういった一種の超自然的な力が生まれやすい環境にあります。
海外のスポーツの熱狂を観ているとそれがよく表れています。
見えない力②自分の力
人間は自分のことを過信する生き物です。
自分が応援したから勝った、負けた。祈りが通じたなど、自分が応援することに意味を持たせることで、自分の存在意義を感じたいのです。
これはギャンブルにハマる心理とよく似ています。
ギャンブルの勝ち負けは不確定要素が強く、必ず勝敗を予想できるものではありません。
しかし、ギャンブルに勝つと、それは自分の力でそうなったという過信が生まれます。
また必ず勝つからハマるのではなく、何回かに一回、勝つことでドーパミンやエンドルフィンという脳内物質が出ると言われています。
人智を超えたモノをコントロールできたという過信が、人をスポーツにハマらせるのです。
見えない力③繋がり
スポーツを応援することは、繋がりを生みます。
応援しているチーム、そして自分が応援しているチームを同様に応援している人との繋がりができます。
応援することで、そこに一体感が生まれます。
この一体感はコンサートでもよくありますが、アドレナリンやドーパミンといった脳内物質を放出させルと言われています。
ファン同士のつながりや一体感は、何も会場に行かなくてもTwitterやファンサイト、機関紙などでも得られます。
いい人欲
いい人欲とは、「他人を応援している自分っていい人」と思いたい気持ちのことです。
自分の労力を使い、他人を応援していることは無償の愛に近いことです。
「そういう愛を示せる自分はいい人間だ」と思うことで自分を保ちたいのです。
そして、好きな選手を応援していることが日常に張りを持たせます。
また実際に、誰かを応援していることはいい人に思われますし、話題にも事欠きません。
どこどこの、誰々のファンということは分かりやすさ、親しみやすさを生みます。
所属欲
所属欲とは、どこかに所属していたいという人間の自然な欲求です。
太古の昔から人間は、外敵から身を守るために集団で生きていかなくてはなりませんでした。
そのために集団を作り、安全を確保してきたわけですが、現代でもその所属欲はほとんどの人間の拠り所となっています。
家族、会社組織、自治会、一番大きなもので言えば日本そのものです。
日本代表を応援することは、日本人であるという所属意識が最高に高まる瞬間なのではないでしょうか。
スポーツを応援しない理由
所詮は他人事
どんなに盛り上がっていても、どんなに輝いて見えても言ってしまえば他人事です。
彼らが勝とうが負けようが、自分の人生に何ら変化はありません。
どんなに応援しようが変化が起こるのはチームであり、選手たちです。
自分の贔屓のチームが勝って気分がいいのは、せいぜい一日です。
だから、観ている人の人生も変化するようにとスポーツくじが出来たのです。
時間的制約
現代人は、誰もが時間に追われ、やることに追われています。
そんな余裕のない日常で、何かを削らなければならないとしたら、スポーツ観戦を削る可能性は高いでしょう。
スポーツを筋書きのないドラマと言いますが、裏を返せば面白い時もあれば、つまらない時もあるということです。
つまらない試合を観ている時など、時間が経つのが遅く感じれ、時間が惜しくなります。
有限な時間のために、スポーツを観なくなるのは仕方がないことです。
感情的になりたくない
スポーツの試合は当然、自分の思い通りなりません。
思い通りにならないことを前にすると感情は波立ちます。この感情の起伏を好まない人がいます。
自分がやっているならいざ知らず、他人のしていることで、なぜこうまで感情を波立てないといけないのかと思うと、それさえもイラただしく思えてきます。
こういう人は、スポーツを観て得るプラスの作用よりも、マイナスの作用に重きを置いている人に多いです。
興味がないので共感できない
スポーツに興味がなく、他人に共感できない人は一定数存在します。
オリンピックやワールドカップだからといって、騒いでいる人を横目に仲間に加わらない人たちです。
こういう人たちは完全に自分と他人を切り離して考えています。
周りと同調したい、繋がりを持ちたいからといった欲求があまりない人たちです。
スポーツを特別視してなく、興味もないので観ないだけと考えているのです。
応援する習慣がなかった
両親がスポーツを応援をしていない家で生まれ育った子供は、スポーツを応援する習慣がないでしょう。
生育過程で、部活などのスポーツ活動に参加しなければそれは決定的になります。
どこがおもしろいのか、まったく理解できないのだと思います。
しかし、このパターンは一度、面白さを知れば応援にハマる可能性が残っています。
最後に
ボクはスポーツを観なくなりましたし、たとえ日本代表でも応援することはありません。そう思ったとき、自分がずいぶん寂しい人間に思いました。他人を応援できる人は心の広い人だと思いますし、誰かを応援することは自分を活かすことにも繋がるのではないでしょうか。