どうもkitajinです。ここではボクが禁煙した時につけていた日記について、紹介していこうかと思います。ボクが禁煙を始めたのは、2015年12月26日でした。ちょうど正月休みが始まるタイミングで禁煙し始めました。

禁煙への道のり
喫煙の始まり
大きな声では言えませんが、ボクがタバコを吸い始めたのは17、8歳の頃で、友人に勧められて吸いはじめたのがきっかけです。
以来、30年近くタバコを吸い続けていました。
吸い始めた当初は、セブンスターというタール14mg、ニコチン1.2mgというキツメのタバコだったですが、だんだんと歳を重ねるごとにタール、ニコチン共に低いタバコを吸うようになっていきました。
本数も最初の頃は1日ひと箱近く吸っていたのが、やめる前には5本くらいになっていたと思います。
そうやって減煙をしていたのですが、それでも体調が悪くなり、ついに禁煙を決意するのでした。
禁煙失敗の日々
2015年12月26日に禁煙を始めたと書きましたが、これが初めての禁煙ではありません。
過去に何度かチャレンジして、全て短期間で失敗していました。
30代の頃、パチンコ屋に勤め始めた頃はお客の吸ったタバコの煙が嫌で、初めて禁煙を思い立ちましたが続きませんでした。
そこから何度も禁煙にチャレンジして、その都度、失敗してしまいました。
理由はいろいろありますが、やはりふとした時に蘇るタバコの記憶が、禁煙を断念させてしまい挫折を味わいました。
タバコを吸いながら、パチンコを打ったり(当時は当たり前だった)、お酒を飲んだり、仕事終わりの一服、ストレスを感じての一服など、理由を付けての一服がどうしても頭の中を巡ります。
禁煙が出来ない代わりに、減煙には成功することができました。
減煙とはタバコを吸う本数を徐々に減らしていくことで、成功のコツは、吸わない場所を増やしていくのです。
ここでしか、このタイミングでしか吸わないとなれば、タバコの本数は確実に減っていきます。
しかし、減煙はタバコの本数は減らすことは出来ますが、その代わりタバコに対する依存度が高まる気がします。
タバコが御褒美だと思えるようになるのです。
ですので、完全禁煙をめざしたいなら、減煙はせずに最初から禁煙に取り組んだ方がいいでしょう。
禁煙を決意した理由
禁煙を思い立つというのは、何か理由があるからで、僕の場合は夜寝ている時に、急に咳が止まらなくなり息ができない、喘息のような症状になったのが始まりです。
これは『タバコ病』の一種と言われる、慢性閉塞性肺疾患(まんせいへいそくせいはいしっかん、COPD)の症状に似ています。
参照 慢性閉塞性肺疾患(COPD)とは | 健康長寿ネット (tyojyu.or.jp)
病院に行って診断を受けたわけではないので、何とも言えませんが、たまに起こる喘息のような症状に、これはもうタバコを吸っている場合ではないと禁煙を決意しました。
ですので、ボクも決して意志が強いわけではなく、やむにやまれない思いで禁煙を始めたにすぎません。
それでも、すぐに禁煙できたわけでもなく、前出の通り、何度も失敗を繰り返しました。
そして、反省を活かし、ついに2015年の年末から禁煙をはじめ、現在2022年9月現在までタバコを一本も吸っていません。
禁煙日記
それではここから禁煙の日々を振り返ってみましょう。
2015年12月26日(初日)
今日から禁煙を始める。
これはすでに何か月も前から決めていたことで、今日という日を待ちわびていた。
初日から、呼吸が「ぜーぜー」といっており、痰がよく出る。かわりに声が出ない。
これはもしかして、慢性閉塞性肺疾患かもしれない。
ボクは末端冷え性で、手足が異常に冷たく、タバコがそれをさらに悪化させていたので冬場は霜焼けが出来ていた。
これが禁煙により、改善されるだろうか?
この日から正月休みに入ったので、たくさん寝たことで頭が少しぼ~としていた。
二日目
相変わらず痰がひどい。
しかし、「ぜーぜー」はなくなった。
ふとした時にタバコが吸いたくなる瞬間がある。
タバコがご褒美だという思いある。
でも、決してご褒美ではなく、吸ったら罰がやってくることを思い出そう。
三日目
少しではあるが痰がでる量が減った。
疲れてはないが、よく眠る。
タバコを吸わないことを我慢している、そして、この我慢がいつか報われる日が来ると考える。
この考えを否定する。
我慢をしている、と思っていることは続かない。
四日目
声が普通に出せるようになった。
タバコを吸いたくなるが、吸っても不味い、この状態がいい、と思うようにしている。
タバコを吸う人を羨ましいと思うより、吸わないといけないのは気の毒だ、と思うようにした。
五日目
日中の痰は減ったが、毎朝の痰は相変わらずよく出ている。
肌つやが少し良くなった気がする。
手足の冷えもほんの少し和らいで、血行が良くなった気がする。
吸いたくなるが、二度と吸わないだろうと予感をする。
六日目
まだ痰は出る。ゼイゼイは完全に消えた。
手足は相変わらず冷たい。
タバコを吸いたいと思う気持ちはあるが、二度と吸うことはないという確信がある。
タバコを吸うとどうなるかはっきりと予想がつくから。
ほんの少し、余裕が出てきた気がする。
七日目
瞬く間に一週間が過ぎた。
痰も心なしか減った気がする。
すごく調子がいい。吸いたい気持ちをコントロールできている。
この調子を維持していきたい。
タバコの離脱症状が少なかったのは、休暇を取り、よく寝ていたからだろう。一週間が経ったからニコチンは切れているはず。ここからが、本当の禁煙の始まりだ。
八日目
今日は朝から吸いたい気持ちになっていたが、完全にシャットアウトできている。
吸わないことが本当に気持ちがいいことだと気づく。
九日目
痰がでる。咽喉が疲れやすい。
吸いたい欲求が時おり強く表れる。
波がやってくるという予感。安心できない、というより、より一層気を引き締めて行かなくてはならない。
十日目
いよいよ長期休暇最終日。
休み期間中はストレスも少なく、タバコに手を出す事も無かったが、仕事を始めれば様々なストレスに晒される。
だけど、吸ったらお仕舞と思うくらいに気を引き締めたい。
十一日目
仕事始めでストレスを少し感じたようだ。
あと習慣で仕事=タバコという図式があり、吸いたくなるタイミングがあった。
仕事が終わると、タバコがご褒美という感覚が表れる。
十二日目
吸いたい、けど吸ってどうなる?の繰り返しだ。
まだまだ油断が出来ない。三ヵ月は様子見だ。
体の調子は良い。
十三日目
仕事はストレスを感じる。
そう感じた時にいかに吸いたい気持ちを消すか?
決してタバコを吸うことが解決策ではないと心の底から思えるようでなくてはダメだ。
十四日目
二週間が経過した。
タバコがいいもののように思えている。
だが、口の感じ、咽喉のイガイガ、頭のボオっとした感じ気持ち悪さなどを思い出して、決していいものではないと再認識させる。
仕事が始まり、日常の習慣の中でタバコが吸いたくなるタイミングがやってくる。これをどのように回避するか、また仕事のストレスなどとどういう風に向き合うのかなど、厳しい一週間だった。
三週間目
三週間が経過した。
時おり、吸いたい欲求が強く襲ってくる。
何か素晴らしいものをお預けしているような気持になる時がある。
全然素晴らしいものじゃないんだよ、逆に最悪なモノなんだよと言いきかせる。
四週間目
四週間が経過した。
完全に忘れ去られた過去の遺物にはまだなっていない。
タバコはご褒美、素晴らしいものであると、心の片隅に残っている。
しかし、その度にタバコの悪い記憶を思い起こし、美味しい空気を吸うたびに今がいいと再認識させる。
手足の冷えは相変わらずで、もしタバコを吸っていれば、もっと酷かったのかと思う?
五週間目
一ヶ月以上、タバコを吸っていない。
まだ吸いたくなるタイミングは多いが、吸わなくても平気、もう二度と吸わないという方向に固まりつつある。
タバコを吸いたくなる思考回路を完全に収める方法を見つけたようだ。
とにかく毎日、美味しい空気が吸える、気持ちよく過ごせるということが何よりだと思うようになってきた。
タバコがご褒美だと思う気持ちが強く残っている。これが、減煙をしていた影響である。特別な時にしか吸わなくなると、日常とは別の特別な瞬間をどうしても求めてしまう。それがタバコでないことを繰り返し思いこませる。
六週間目
六週間が経っても、タバコの誘惑は続く。
しかし、吸いたい衝動が起こるたびに今の方がいい、美味しい空気がいいとなっている。
それでも、まだどこかに、タバコはご褒美、特別なモノ。
いつかその特別なモノを味わえる日が来ることを願っている、といったような幻想を抱いている時がある。
「意志の力でタバコを吸わなくなるのではなく、吸いたいと思わないから、吸う必要がないから吸わないだけだ」とならなくてはいけない。
七週間目
まだ吸いたくなる瞬間がある。
特に仕事終わりやストレスを感じたあとなどに、ご褒美感覚で吸いたくなる。
タバコを吸わなくなったことで出来た穴を埋めるのは、やはりタバコではないかという思いもある。
しかし、「肌つやが良くなった」「体調も良く、気分もいい」いい方に目を向けるべきだ。
八週間目
タバコを吸いたい気持ちはまだある。
だがもし、吸えば、一瞬はホッとするかもしれない。でも、その後に襲ってくる後悔、自己嫌悪によって押しつぶされる。
そう思うととても吸う気になれない。
ここまでくると、吸う喜びよりも、まやかしに踊らされて、吸ったその後に襲ってくる後悔が恐ろしくなる。
二ヵ月目
まだ、物足りなさはあり、心の中にぽっかりと穴が開いていて、その穴を埋められていない。
まるで怪我した箇所が完全に傷口が塞がっていないような状態だ。
それでも、タバコを止めて二ヵ月が経過して、少しずつタバコを止めた効果が出てきた気がする。
今までになく冷静さがあり、タバコを吸えばどうなるのか、すぐに頭に浮かぶ。
タバコを吸っていた感覚も覚えていて、吸ってしまえばどうなるのか全てわかる。
もう完全に吸わなくてもいいと思えるようになった。
禁煙二ヵ月が経っても、タバコを失った喪失感で心にぽっかり穴が開いたような感覚が残っている。それでも、ここに来て、吸ったらどうなる、吸っても何の解決にもならない、タバコはそんないいものではないという考えが固まりつつある。
三ヵ月目
ようやく三ヵ月が過ぎた感覚だ。
嬉しい反面、これで終わりでなく、ここから始まりのような感覚である。
未だに吸いたくなる瞬間はあるし、タバコはご褒美、良いものだという幻想がある。
目を見張るような劇的変化はない。
それでも、吸いたくなる間隔がどんどん開いているのを感じる。
四ヵ月目
最大の誘惑(この誘惑が何か、記載がないのでわかりません。スミマセン)が訪れたが、それを何とか回避できた。
本当に恐ろしい。大丈夫だと思っていると、ふとした瞬間にタバコの誘惑が訪れる。
それを回避できたことが本当に大きく、これでもう安心だと言えないが、かなり自信がついた。
五か月目
たまに襲ってくるタバコの誘惑を簡単に払いのけられるようになった。
身体の変化も特別ない。
体調がいいとか、健康的になったとか、若返ったとかはないが、代わりに大きな不調もない。
人生からタバコが消えただけだ。
五ヵ月が経って分かったことは、禁煙しても必要以上に健康にならないし、若返ることも無い。しかも、三ヵ月も過ぎれば大丈夫だと思いがちだが、決してそうではなく、タバコの誘惑は何年経ってもふとした瞬間に襲ってくる。禁煙は生きてる限り続く戦いだということだ。
最後に
日記は五ヵ月で終わっている。そして、現在、2022年9月現在も禁煙は続き、今はタバコを吸いたいとはまるで思わないし、タバコのニオイも、煙も大嫌いだ。タバコがご褒美という感覚もまるでないし、リラックスできるとも思わないし、何のために吸うのか、吸う理由がない状態だ。しかし、もし、明日地球が終わるなら、タバコを吸うかもしれない、と思う時はある。逆に言えば、そういうことがない限り吸う事も無いだろう。
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