どうもkitajinといいます。ここではボクがやめたパチンコについて紹介します。ボクは18歳からパチンコをはじめ、なんやかんやで40代前半までパチンコに興じていましたが、45歳の頃に完全に縁を切ることが出来ました。ここではボクがどのようにしてパチンコをやめたのかを話します。

パチンコを始めた歳
ボクがパチンコを始めた年は、ちょうど『マージャン物語』がブームとなった1991年のでした。
そこからパチンコにハマり、引きこもりと言うこともあり、お金があると朝からパチンコ店に行っていました。
その頃はまだ全台パチンコは一玉4円、スロットは一枚20円で、パチンコは羽モノ機、フィーバー機・権利機などがあり、スロットは三号機時代でした。
交換率もうちの地元では、40玉(2.5円)~45玉(2.22円)の間でなかったかと思います。
スロットは7~8枚交換だったような気がします。
それでも大当たり勝率が高く連チャン率もよかったので、割合勝ててたような記憶があります。
一説によるとパチンコがダメになった要因の一つに等価交換があったせいだと言われています。
確かにその時期からどの店に行っても回らない代が多く置いてあったように思いますが。
昔は個性的な店が多かった
パチンコが右肩上がりに成長し始めた時代だったので、今のような全国展開の店などなく、超地元密着型の小規模店舗の店ばかりでした。
ですので、その店の特色が大きく出ていて、良心的な店もあれば、明らかにおかしな店もありました。
そういう店はお客からふんだくる事しか考えてないものだから、すぐに閑古鳥が鳴くような状態でした。
昔は、やれば儲かると思われがちなパチンコ屋でも多くの店が淘汰されて現在に至ります。
よくやった台
ボクがパチンコを始めた頃は、フィーバー機と羽モノ機、権利モノ機が主流でした。
フィーバー機は、現在では主流の3つ絵柄が揃うと大当たりのオーソドックスな台で、羽モノ機はアタッカーに入ると羽が一回から2回開いて、その中で役物に玉が入賞して、その中にあるVゾーンに玉が入賞すると大当たりの仕組みになっています。
権利モノは、いろんなタイプがありましたが、大体、3回権利が主流で、フィーバー機のように大当たりになると3回当たりが約束されたモノでした。
よくやったパチンコ
- マージャン物語
- たぬ吉君
- フィーバー機ジャックスポット
- フィーバーパワフル
- 初代ルパン三世
- CR北斗の拳
- リングシリーズ など
よくやったパチスロ
- スーパープラネット
- ドリームセブンJr
- 花火
- 大花火
- 北斗の拳
- 吉宗
- ボブ・サップ など
これはボクの場合で、ボクは決して依存症ではなかったので、それほど止めるのに苦労はなかったですが、それでも、ズルズルと1ぱちなどを打ったりしていて、完全に行かなくなったのは2019年頃です。では、どのようにしてやめたのでしょうか?
どうやってやめたか?

別の趣味を見つけた
パチンコの時間を別の時間に当てるのが一番、止めるのが早いです。
その場合、気を付けるべきなのは、別のギャンブルにハマるとか、不健康なことをすることです。
自分にとって何がベストなのか?
「お金」「健康」「心」「周囲のコミュニケーション」などを考える事で、何がベストかを知ることが重要になってきます。
お金の大切さを知った
やはり、パチンコをやめるのはお金が無いからでしょう。
お金があればパチンコで負けたって痛くもかゆくもありません(負けは悔しいですが)。
ですので、パチンコを打ちたければ、お金持ちになるしかありません。
しかし、殆どの人はパチンコをやるお金が、自分の稼ぐの何パーセントを占めていると思います。
そんな中でパチンコで負けるのは痛いでしょう。
パチンコで一年間に負ける額を業界が出している年間売り上げと従業員の数や経費で算出すると、一人当たり三十万円から五十万円負けているといわれています。
それくらいパチンコで使うお金は大金となるのです。
時間の大切さを知った
冒頭にも書いたように、僕は10代の頃からパチンコばかりして散財していました。
そのときを振り返って、なんでそんな時間を無駄にしてしまったんだ、と後悔したことは数え切れません。
お金は後で稼ぐことは出来ます。
しかし、若い時間は二度と返ってきません。今思えば、若いときにしかできないことがたくさんありました。
それなのに、パチンコ屋に入り浸って、朝から晩までパチンコを打っていたのですから。
そんな選択をしてしまったために後悔をすることになったのです。
社長の家を見た
全盛期の半分になったとはいえ、現在でもパチンコは15兆円産業と言われています。
そんなパチンコ屋の社長がどんな家に住み、どんな暮らしをしているのか知っていますか?
またパチンコメーカーなどの社長も大きな家に暮らしています。
そういう姿を見た時、ボクは彼らの養分になっている自分を考えました。
そして、ボクはパチンコ店に二度ほど就職したことがありますが、どちらの社長も嫌な人間でした。
パチンコをやっている自分を嫌いになった
パチンコをやめるためには、パチンコしている自分を嫌いになる必要があります。
パチンコを打っても何の得にもならないし、むしろ嫌な人間になると思い込んでパチンコすることに嫌悪感を覚えるようになったのです。
すると、パチンコをすると、楽しいどころか罪悪感が芽生えるようになったのです。
年々、足が遠のき、ついにパチンコへ行くことが無くなったのです。
パチンコをしている自分をバカバカしく思えるようになったらこっちのものです。
満足いくまでやった
どうしても止められなかったら、思う存分やってみましょう。
そうすれば、もう行きつくところまで行くしかなくなります。
荒療治になるかもしれませんが、そうまでしないとやめられないでしょう。
僕の場合ですが、徐々に行く回数を減らし、金額を減らし、時間を減らしていきました。
そうすることで負け分を減らしていくことで出来て、それが段々と負けてお金を失うことが凄く無駄なことをしているように思えたのです。
パチンコ屋の店員になった
これはまさにミイラ取りがミイラになったパターンですが、どういう理由か忘れましたがボクは26歳の時にパチンコ屋に就職しました。
当時はパチンコはまだまだ店員も客もガラが悪い人間が多く、店側も信じられないことを平気でしていました。
不正も多く、田舎の小さなパチンコ屋でしたが、そんなところにも頻繁にゴトがやってきたりしたものです。
さらに近所のお客も変な人間が多く、そういう人たちと店員側から見たことで、パチンコのくだらなさを俯瞰できました。
パチンコに関わる数々のことを内側から垣間見ることで、パチンコから足を洗う手助けになりました。
パチンコにハマる理由を理解する
人はなぜ、パチンコにハマるのでしょうか?
恐らく、十人十色、様々な理由があるはずですが、自分がハマる理由を理解して、その原因を解決すればパチンコを止められるかもしれません。
僕の場合ですが、ボクは十代の頃、引きこもりとなり、何もやることが無くて、唯一熱中できたのがパチンコだったのです。
それから、三十年近くたち、他に熱中できることが出来て、心から完全にパチンコを追い出すことが出来たのです。
パチンコを何となくしている人は、自分がなぜパチンコをしているのかを考えてみるのもいいかもしれません。
パチンコ店には近づかないことにした
生活からパチンコを打つことを排除するのです。
具体的には、パチンコ店に近づかない、パチンコ関連の情報なども完全にシャットアウトするなどです。
これは意外に難しいことですが、そうしないとパチンコを止めることは難しいでしょう。
反対にいえば、パチンコ店に近づかなければ、間違いなくパチンコを止められます。
業界が衰退したから
パチンコをやめられた理由の一つにパチンコ業界が変わっていったことも挙げられます。
時代と共にパチンコ業界も様々な理由で変化していき、ギャンブル性が問題になったり、車内放置なども社会問題となりパチンコのイメージが変わっていきました。
また、パチンコ機のスペックや見た目も大きく変わり、店舗の営業方針も変わらざるを得なくなりました。
そんな中で、パチンコ熱が冷めて言ったボクとしては、ついていけなかったというのが正直なところではないでしょうか。
まとめ
ボクがパチンコを始めてから三十年という歳月が流れました。その間、社会も変わり、パチンコを取り巻く環境も大きく変わりました。パチンコに関わるルールの変更から、業界の流れ、または社会情勢から屋内禁煙が導入されました。更に、2022年11月にはスマートスロット、2023年3月にはスマートパチンコも導入されて、今後、どのように変化していくのか注目が集まっています。個人的にはパチンコを打つことはなくなりましたが、パチンコという文化は消えてほしくないと思っている一人です。それはパチンコは、日本の豊かさと平和の象徴だと思うからだです。もし、パチンコが無くなる世の中は、世知辛い世の中に見えてしまうのはボクだけでしょうか?
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