こんにちはkitajinと申します。ここでは懐かしの昭和1980年代について紹介していきたいと思います。今から40年近く前なので、ずいぶん昔に思えますが、ボクにとっては少年期から思春期を過ごしてきた懐かしの時代です。いったいどんな時代だったか見ていってください。

ガチャガチャ
ガチャガチャの歴史は1965年にアメリカから輸入されてきて、それから日本全国に広がっていき、現在もなお進化を続けています。
ガチャガチャの歴史 6つのターニングポイント
第一世代:1965年~(日本でのガチャビジネスの創世記)
第二世代:1970年~(カオスの時代)●ロケーション乱立期
第三世代:1977年(大手玩具メーカーバンダイの参入とコスモスの参入●無版権の駆逐期
第四世代:1995年~(大人もターゲットの時代へ)●新ガチャマシン展開
第五世代:2012年~(トイからカルチャー、そしてデザインの時代へ)
第六世代:2018年~(日本から世界へそして新しいテクノロジーの時代へ)
ガチャガチャラボ 日本ガチャガチャ協会
ボクがガチャガチャに初めて触れたのは、第三世代のバンダイやコスモスの参入してきた時期でしょう。
この後、紹介するキン肉マン消しゴムもガチャガチャの景品としてありました。
しかし、人形より入れ物が小さかったためにキャラクターが癖が丸まってしまってまっすぐ立ってくれませんでした。
その他、景品としましてはスーパーボールやスライム、スーバーカー消しゴム、ガンダムの消しゴム、悪戯グッズなどがありました。
ガチャガチャの進化版として、ジュースの自動販売機大の大きさの『コスモス』というガチャガチャもありました。
そちらは明らかに版権を無視した模造品のおもちゃなどが入っており、後にコスモスは訴えられて裁判に負けて倒産してしまいました。
キン消し
『キン消し』とは、1983年~1987年に発売されていた、キン肉マン消しゴムの略称で、漫画、アニメのキン肉マンのキャラクターをゴム型にしたものです。
当時の小学生の間で爆発的にヒットを飛ばしまし、後に復刻盤としても登場しています。
主要キャラクターはもとより、一回しか出てないキャラ、本編には登場したことはないが、漫画紙面で紹介されたことがあるキャラクターまで、キン消しになっていました。
遊び方としては、一人なら、キン消しを両手に一体ずつの持って、キャラ同士を戦わせたりするオーソドックスなモノから、何かと抱き合わせたり、(例えばカブトムシやクワガタと戦わせたり、手作りの船に乗せて川に流したりする)など。
二人以上なら、机の上で指ではじいてぶつけ合い、飛ばして落ちたら負けや紙相撲のように土俵のようなところに立たせて、倒れた方が負けという遊び方をしてました。
負けた場合は友達に取られて、キンけしを争奪戦を繰り広げていました。
やがてそれらの遊びに飽きた者たちは、どんどんと過激となってきてバラバラに切ったり、マッチやライターも燃やしたり、爆竹をくくりつけて飛ばしたりと酷い事もしてました。
ガンプラ
『ガンプラ』とはガンダムのプラモデルの事で、1980年にバンダイから発売されて今も根強いファンがいることで知られています。
その第一次ブームは1980年代で、その頃は近所のおもちゃ屋に朝から子供たちの行列ができていました。
アニメ機動戦士ガンダムは最初の放送のときは、それほどヒットを飛ばさなかったのですが、後に再放送がされたときにヒットを飛ばし、同時にガンプラ人気も合わさって、相乗効果となります。
ゲーセン
現在のゲーセンといえば景品キャッチかお年寄りに人気のメダルゲームが主流ですが、その走りとなったのは1970年代後半からです。
ゲーセンブームの影響で、爆発的に全国に膨れ上がり、どこの町でも必ず一軒や二軒ゲーセンがありました。
当時のゲーセンといえば、不良というイメージが強くあります。
タバコ臭く、薄暗くて、どこか陰気で危険な雰囲気が漂っていました。
喧嘩、カツアゲ、喫煙などの犯罪のイメージが強かったものです。
たとえ恐怖のゲーセンであっても、子供たちを強く引き付けるものがあり、恐る恐る遊びに行くのでした。
ファミコン
ファミコンは1983年に任天堂が発売した家庭教ゲーム筐体です。
当時大ブームを引き起こしたファミコン、特にファミコンの人気に火をつけたのは、スーパーマリオではないでしょうか?
当時おもちゃ屋で、スーパーマリオを初めて見たときは衝撃を受けました。
そして、どうしてもスーパーマリオがやりたくて、何とか親に頼んでファミコンを買ってもらったのでした。
当時の子供たちにとってファミコンは仲良くする手段であり、ファミコンを持ってないな子供はどうしても仲間外れになるしかありませんでした。
裏技、クソゲー、借りパクなどの言葉が生まれました。
タバコの値段
親にタバコを買いに行かされた小学校低学年当時、マイルドセブン(現在のメビウス)の値段は(1980年当時)180円でした。
それから83年、200円→86年、220円→97年、230円……06年、300円……そして22年現在は、540円だそうです。
年々、健康被害になるとか、公共の場所では吸わないようにとか、分煙しましょうといったような活動が次々と言われてきて、喫煙者の形見は狭くなってきました。
しかし、1980年代はタバコはどこでも吸えて、そこら中に灰皿がありタバコの吸い殻が落ちていました。
歩きたばこも道路に吸い殻を捨てるのは当たり前で、車の灰皿に溜まった吸い殻を道路に捨てているオヤジ連中もいたくらいです。
不良の恐怖
1970年代から全国に現れたモノと言えば、不良文化ではないでしょうか。
暴走族が全盛期だった70年代は「ツッパリ」と言われ、80年代からは「ヤンキー」と言われるようになりました。
集団でバイクを乗り回して、暴走、暴力行為をして、自己主張が強いのがツッパリだとすれば、
80年代の不良「ヤンキー」は不良で、喧嘩もするけど、あまり自己主張しない方がカッコいいというようなスタイルではないでしょうか。
そんなヤンキーの象徴しているのが、大ヒットを飛ばし映画にもなったビーバップハイスクールです。
ビーバップハイスクールの映画を見た帰りは誰もが喧嘩が強くなった気になったものです。
行商が学校帰りの子供に近づく
どこからやってきたのか、小学校の校門で下校途中の子供を捕まえて、変なモノを売りつけてくるオヤジがよくいました。
学校帰りの子供がお金を持っているはずがないのに、物を売りつけてくるなんてどう考えてもおかしな話です。
それでも子供相手に商売するのはちょろいと思われていたのか、結構いろんな商品を販売しに来たものです。
今思えば絶対に買わないような怪しげな商品ですが、子供心をそそる商品の数々だった気がします。
全国を席巻するうわさ話が周期的に流行る
昭和の時代は今ほど情報が多くなく、人づてに聞いた情報の真偽を確かめる術も少なかったです。
その中で、様々なうわさ話が日本全国を駆け巡っていったものでした。
有名どころで言うと、「口裂け女」「トイレの花子さん」などではないでしょうか。
あと、印象に残っているのは、「何月何日何時何分何秒(すべてゾロ目)に白い壁に触ると、異世界に連れていかれて帰って来れなくなる」なども本気で信じていました。
「口裂け女」の噂が流布したのは1950年代、アメリカのCIAが敗戦直後の日本で、どれくらいのスピードでうわさが広がるかを検証したためだという、これまた都市伝説のような話があります。
映画の大ヒットが実は大したことがない
2020年「鬼滅の刃」の映画が大ヒットを飛ばしましたが、改めて、映画の大ヒットを見てみると分かると思いますが、昭和の映画がほぼ入っていません。
大ヒットした映画ベスト20の中では1982年のE.T.だけで、日本映画で見ると30位圏内に1983年の南極物語しかありません。
それくらい映画のヒットが昭和には生まれていません。なんだか昔の方が映像に飢えていたはずなのになぜなのでしょう?
考えられることとして、一つは昔はバラけてみられていた。
現在は映画がヒットすると宣伝効果もあり、一極集中でみんなが観るが、逆にヒットしない映画はだれも見向きもされてないのではないでしょうか。
一つは、あまり映画を観に行く文化がなかった。なんだかんだ言って、映画を観に行く人が少なかったのではないかという気がします。
ヒットする映画の傾向を見るとやはり親子連れに受ける映画であるので、昔はあまり親子で映画を観に行くという文化がなかったという事も考えられます。
最後に
1980年代に少年時代を過ごしてきたぼくにとっては懐かしくもあり、そんな昔のこととも思えないのですが、やはり四十年で、ずいぶん時代が変わったという印象を受けます。平均寿命が八十と言われる時代で半分を過ぎたわけですが、残りの半分が一体どんな時代になるのか、この四十年を振り返り、これほど変わったことを実感すれば、これからの四十年、更に変化をして今と全然違う時代になるだろうことは予想されます。